米中国交回復

1972年のニクソン政権による米中国交回復時の衝撃(読売新聞の書きっぷり、テレビニュースの報道等)は、当時小学校高学年だった私にも記憶がしっかり残っている。子供心に日米は外交政策は常に歩調を合わせているものであると信じ込んでおり、このような大きな政策転換に際して、日米政府間で事前の情報交換がなされていないことにどうしても違和感があったのだー報道機関は知らなかったかもしれないけれども、政府首脳だけはちゃんと知っていたのだろうと信じていた。
だが、事実はそうではなかったらしい。孫崎亨氏の「戦後史の正体」によると、沖縄返還交渉の際の秘密協定として、核持ち込み問題と繊維問題があり、どうやら佐藤首相は繊維問題の密約を無視したらしいのだ。そのため、ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官の怒りを買い、これがこ米中国交回復交渉の存在を最後の最後まで米国側が日本側に秘密にしていたらしいのだ。さもありなん、政治家も人の子なのだ。
おまけに、議会対策でもたもたしていた米国よりも早く、田中・大平コンビは日中国交正常化を済ませてしまった。キッシンジャーは激怒したとのこと。面白すぎるエピソード、どこまで真実なのだろうか…?