安全保障

安全保障関連法案をめぐる国会論戦、共産党の志位委員長に安倍総理がズタボロにされているらしい。まあそうだろうと思う。ただ、根本的な問題は、安倍さんがいつものように、真正面から問題を提示し、問題のポイントを真摯に議論することなく、モノゴトを進めてしまおうといういつものやり方にある。もちろんこれは昨年末の選挙で安倍さんを方してしまった日本の有権者に責任があるのだが、安倍さんはそこでも選挙戦でのテーマは「アベノミクス」として、真の議論をする場を摘み取ってしまった。こんな人を選挙で勝たせてしまうとは、悔しいがこれがフェアな選挙の結果なのだ。
さて安全保障関連法案をめぐる真正面からの議論とは何か?私が思うに、法律議論を始める前にやるべき議論があるのだ。戦争放棄を明確に記した現行憲法が施工されたのが1947年。しかしながら、僅か数年後には、1961年のサンフランシスコ平和条約締結と同時期に締結された日米安全保障条約(旧日米安保条約)締結、警察予備隊(現自衛隊)設立と、現行憲法と大きな矛盾をはらむ方向転換がなされた。今までは、アメリカの軍事力、経済力が圧倒的であり、日米安保における日本及び自衛隊の役割は極めて限定的なもので済み、何とか現行憲法と折り合いを付けながらやってきた。しかしながら状況・環境は変わる。日米安保の枠組みで、日本及び自衛隊は今までのパッシブな役割から、アクティブな役割を求められてきているのだ。誰から?もちろんアメリカ合衆国からだ。
これにどうこたえるのか、国民的議論が必要だと私は思う。安全保障関連法案の細かい議論をするのではなく、アメリカとの同盟を続けるため、戦力を保持しするため、その為に現行憲法を改訂するのか否かという議論だ。この議論を国会、論壇、マスコミ等でやってくれれば、国民の理解が深まり、私自身の意見もぼんやりとしたものからソリッドなものになると期待する。今の時点では極めてあいまいな意見しか持ちえないでいる。それは、実効性の希薄な国連主義から離れ、実際に力を持ち、隣国であるアメリカ、中国、ロシア、韓国との間で条約を結び、日本が永世中立国となる道だ。これが非現実的なのか否か良く分からない。だからこそきっちりとした議論を国会という最高のレベルで戦わせてほしい。